知っていると楽しい!マカオの歴史を知れるおすすめスポット

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マカオはカジノ・世界遺産のイメージが強くありますがそれ以外にも魅力はたくさんあります。本当のマカオを知る事ができる観光ツアーを体験してみません?マカオ在住10年、旅行のプロ・ツアーガイドをしている著者がお届けします!

読むマカオ観光ツアー ~在住10年、旅行のプロが伝えるマカオ~(全10ページ)はこちらから!

著者:越宮椿

マカオ在住10年のツアーガイドです。現地で知り合ったマカオ市民と国際結婚し、1児の子育てをしながらゆるく働いています。ギラギラしているようで実はのどかな、安全で清潔な観光都市マカオの魅力を、旅行のプロがごく個人的な視点からご紹介します。もしお気に召しましたら、ぜひ実際にマカオへ遊びに来てください。

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著者プロフィール

マカオ在住10年のツアーガイド。

現地で知り合ったマカオ市民と国際結婚し、1児の子育てをしながらゆるく働いています。ギラギラしているようで実はのどかな、安全で清潔な観光都市マカオの魅力を、旅行のプロがごく個人的な視点からご紹介します。もしお気に召しましたら、ぜひ実際にマカオへ遊びに来てください。

 

街に隠されたマカオの歴史を知る

マカオは東西文化の交流地点であったことから、大航海時代の世界にまつわる逸話が数多く残る場所です。

 

大航海時代

15世紀から17世紀まで続いた、主にポルトガルとスペインによる大規模な航海が多く行われた時代。アフリカ・アメリカ・アジアがヨーロッパ人などによって発見された。

 

観光地を訪れる際、その場所にどんな歴史があり、どんな物語が隠れているのかを知ることは、旅をより味わい深いものにしてくれます。

マカオの世界遺産は特に規模が小さいので、知らないと通り過ぎてしまうこともありますが知った後は、気づきや発見が生まれます。

知識や前情報がなければ写真を撮るのみで終わってしまう場所も、案内や知識があれば在りし日の暮らしに思いをはせることができ、面白味を感じます。

「やっぱりこういう場所はガイドさんが色々説明してくれる方がいいね」とおっしゃるお客様も多いです。街歩きをしながら、マカオの成り立ちや歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

このページでは観光地の中心から近く、比較的簡単に行ける場所をメインに紹介します。

 

 

1 マカオと日本のつながり

 

マカオには日本人に関する面白い逸話がいくつも残っています。

マカオ観光の定番スポット「聖ポール天主堂跡」は、アジア最大の教会であり、カトリックの極東(東アジア諸国)宣教の拠点でした。

 

▼聖ポール天主堂跡

By コンピュータが読み取れる情報は提供されていませんが、Chensiyuanだと推定されます(著作権の主張に基づく) – CC 表示-継承 3.0Link

 

このファサード(建物の正面)には、日本の職人が手がけたと言われる精巧な彫刻がきれいに残っています。禁教令により迫害された日本人キリシタン達が、クリスチャン・シティであるマカオを目指してはるばる海を渡ってきました。

ここには聖母マリアに踏みつけられた7つの頭の竜の彫刻があり、「龍頭踏聖母」という漢字が刻まれています。

 

 

ドラゴンは西洋で悪魔の使いを意味しますが、これは日本でキリスト教を弾圧した徳川家康を描いたものだと伝えられています。

世界遺産セナド広場から徒歩5分ほど、新八佰伴(ニューヤオハン)デパート前の広場には、1513年に初めて中国に上陸したポルトガル人の船乗りで商人だった「ジョルジュ・アルヴァレス」の像があります。

 

▼ジョルジュ・アルヴァレス像

 

彼はフランシスコ・ザビエルと日本人を引き合わせ、ザビエルが日本へ向かうきっかけを作りました。

彼がいなければ、日本のキリスト教の歴史は異なったものになったでしょう。

 

フランシスコ・ザビエル(1506-1552)

キリスト教カトリック教会の宣教師。世界中を渡り歩いてカトリック普及に努めた。日本に初めてキリスト教を伝えたことでも知られる。

▼フランシスコ・ザビエル

 

2 ポルトガル人がマカオに住み始めた時代

 

ポルトガル人がマカオに定住を始めた16世紀、この地は「マカオ」と呼ばれるようになり、次第に東西文化の交流が始まりました。

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世界遺産でマカオ最大のパワースポットとして知られる定番の観光地「媽閣廟」(マー コ ミュウ)は、「マカオ」の語源になった場所です。

 

▼媽閣廟

 

ポルトガル人が初めてマカオに足を踏み入れたのが、媽閣廟周辺でした。

船でたどり着いたポルトガル人が、水先案内人に「ここはどこだ」と尋ねました。

お寺のことを聞かれたと思った中国人が「マーコウ」と答えたことから、この地が「マカオ」と呼ばれるようになったのです。

また「リラウ広場」は媽閣廟から10分弱歩いた場所にある、穴場の世界遺産です。

 

▼リラウ広場

 

ここには伝説の井戸があり、そのことを歌ったポルトガルの詩が現在でも残っています。

「リラウの水を飲む者は マカオを決して忘れない

あるいはマカオで結婚し あるいはマカオに帰るだろう」

現在この井戸水を飲むことはできませんが、この貴重な水源がポルトガル人にとって特別なものだったことを物語る詩です。

マカオは海に囲まれているので、真水は当時貴重でした。この場所はポルトガル人が初めてマカオに住み始めた地域なので、望郷や哀愁が相まって伝説を生んだものだと思います。

 

3 大航海時代の面影

 

マカオには大航海時代には欠かせなかったモチーフが今でも残っています。そのモチーフがある場所と、意味するものを紹介します。

定番の観光地、世界遺産「セナド広場」の噴水には、地球儀のようなモチーフが飾られています(写真奥)。

 

▼セナド広場

 

これは「天球儀」と言い、星座をもとに距離や方角を測る、航海には欠かせない道具でした。セナド広場は誰もが知っている観光地ですが、これが天球儀だと知っている人は少ないです。

セナド広場に隣接する有名観光地、世界遺産「市政署」の中庭は中央に丸い花壇があります。

 

▼市政署

By WiNG投稿者自身による作品, CC 表示 3.0, Link

▼花壇

 

ここには地球のモチーフ(花壇写真奥)があり、日付変更線に似たラインが入っています。これは「教皇子午線」と言い、大航海時代にローマ教皇が設定したスペインとポルトガルの植民地の境界線です。

ヨーロッパの2大海運国が、当時世界でいかに幅をきかせていたかを物語っています。

 

以上、あまり知られていないマカオの歴史的側面が観られる穴場スポットでした。次のページではマカオ市民の素顔を知る事ができるスポットをご紹介します。

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